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日本経済新聞と清水次郎長

 15~6年前頃から、日本経済新聞の連載小説が注目されるようになり、特に夕刊での渡邊淳一の「失楽園」は、一大ブームを巻き起こし今まで全く経済に無関心だった一般家庭の主婦がこの新聞を読み始めたと評判になった。

 

 その後朝夕刊とも小説は好評で、現在は朝刊で諸田玲子作「波止場浪漫」が始まり自分も愛読している。因みに作家の諸田玲子は、次郎長の遠い子孫関係者らしい。

 あらすじは、清水次郎長(本名;山本長五郎)女房3代目お蝶の血縁で養女の「山下けん」を中心におりなす人間模様を描いたもの。

 自分自身は次郎長については、子供のころ映画で「28人衆」「森の石松」「大政、小政」「荒神山決闘と安濃徳」などチャンバラドラマを楽しみに見ていたくらいしか覚えがなかったが、今になり調べると、生い立ち・家族・晩年など人間味あふれる一面があり面白い。

 生まれは文政3年(1820年)清水町美濃輪町 薪・炭商で船持ち船頭高木三右衛門

の二男として生まれてすぐ母方の叔父にあたる米穀商甲田屋の山本次郎八に子が無いため養子となった。

 子供のころの次郎長は、手の付けられない悪童で相手かまわず喧嘩はする、村塾、寺子屋から追放される始末。16歳のとき義父次郎八が亡くなり、義母が全財産を持ち出し駆け落ちをすると家業に精を出し盛り返した。22歳の頃何かのきっかけで遊侠に身を投じていく。博奕、相撲、色街に興じたが、23歳の時喧嘩で人を殺め出奔する。

 手始めに三河吉良の剣豪で侠客 小川武一親分のもと昼間は剣術修行夜は博奕の毎日を2年ほど送った。その後諸国を旅し(出入りで人を殺傷しては、逃亡する繰り返し)28歳で初代お蝶を娶り清水に居を構える。東海道を遊侠せしが、初代お蝶次郎長39歳名古屋の侠客長兵衛方にて客死。

 その後甲州、越後、加賀、越前、四国、滋賀、岐阜、名古屋、三河と長い逃避行と出入りが続くが、1868年(明治元年)頃清水へ戻り県知事から街道警護を命じられ、積年の罪状を免ぜられ帯刀を許される。有名な咸臨丸事件では、旧幕府軍側の海上の死体を官軍に逆らってて手厚く葬って一躍時の人となるが、翌明治2年2代目お蝶が、徳川慶喜家臣らしき男に惨殺される。

 次郎長は晩年山岡鉄舟(旧幕臣・・のちに明治天皇の侍従)に出合い、薫陶を得て、英語塾を開き、富士裾野の開墾にも力を注ぎ清水港湾整備にも政府に働きかけたりして、自分でも「静隆社」という海運会社を設立した。50歳頃17年下の3代目お蝶と結婚「本名:篠原けん・・三河西尾藩士篠原東吾の長女」船宿「末広」を共に経営したが、次郎長の名前で繁盛はするが、飲食代、宿代など気に入るとすぐ只にしてしまい、家計は決して楽では無かったらしい。

 明治17年新政府による「博徒一斉刈込み」(賭博犯処分規則)により懲役7年、罰金400円で、監獄に収監されるが、山岡鉄舟などの尽力で翌18年特赦放免となる。

船宿「末広」は、海軍幹部(広瀬武夫、小笠原長生、海軍大将出羽重位遠)、県知事、裁判長等も訪問したり、さながら海軍宿泊所又は県庁支所のごとき交流があった。

 晩年は清水銀行創業者、4代目鈴与商店代表など地元旦那衆とも懇意にしており、

富士裾野開墾で資金不足があると、相当資金援助を仰いでいたのである。一方暇があると、毎日のように銀行応接室へ訪ねお茶を飲んで帰った逸話も残っている。

 60歳過ぎには、好々爺で知られるが、でいりの話になると目つきが鋭くなって傍の者が震え上がるほどの迫力があったと言われ。幾多の喧嘩でも傷は負うが、負けない。   喧嘩に勝つ極意を尋ねられると「一番は気合・・相手をのんで掛かり身体の力を抜いていると動きも読めるし、打ち込みを防ぎ直ぐ攻撃に切り返せる。2番目は、切りつけるのは、鳩尾か向う脛に限る。防御がし難く一瞬で動きを止められるから。」西尾での剣術道場でも稽古は突きと足斬りのみで、凡そ道場剣術には無い、いわゆる喧嘩剣法。

 最期は明治26年満73歳で風邪をこじらせて家族、子分、関係者に看取られて畳の上で往生した。侠客で数多の斬りあいをした果てには、珍しく病気でしかも長寿であった。

 但し度胸のある割には、用心深く出かける時には、子分を先乗りさせ辻の安全を確認してから通行し、夜寝る時も必ず2階で休むなど、油断のない起居を続けた。

 勉強は嫌いで文字はひらがなしか読み書きできないが(漢字は、書けるのは「清水山本長五郎」のみ)賭博勝負(一説によると結構いかさまもやって丁半博奕では、丁が大好き

女房の名前も全部ちょうと名乗らせた)、でいりの読みは、抜群といわれる。

 連載中の「波止場浪漫」では、養女けん(3代目お蝶の本名と同じ名前)の淡い恋をおあらくれ男の中でせつなく描いて、面白い筋書となっている。

 その主人公のけんは、大正5年3代目お蝶亡きあと、船宿「末広」を切り盛りしたが、5年後。残念ながら 40歳で亡くなり、次郎長の後継者も途絶えてしまう。

 次郎長の名が轟くのは、後年浪曲、講談で脚色され大衆に広まってからである。

発行文献は100冊を超え、映画も約150本、テレビでも15本以上放映されている。

但し、壮年期20年は血なまぐさい殺戮事件が多く、倫理上問題があるのかNHK大河ドラマでは、一度も放映されてない。矢張り晩年の社会貢献が圧倒的な人気の基になっているのかもしれない。

今後も日本経済新聞社には、枠にとらわれない益々柔軟な面白い連載小説を続けるよう期待する。

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